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第1部 あとがき
西安(長安)には1984年に訪れ、小雁塔にも昇りました。そのときに神合の話を聞き、遠い過去の記憶が呼び覚まされるような気がいたしました。
小雁塔の歴史に触れる中で、小雁塔を設計、監修したのは鑑真の師、道岸であること、小雁塔には纏腰が付けられていたこと、鑑真も建造に加わって実務を経験し、仏教建築の大家となる礎を築き、やがて唐招提寺創建へと繋がったことを知りました。
中国の仏教文化が最も栄えたのは、初唐の時代、中でも高宗、則天武后の代の、7世紀半ばから8世紀初頭の間でありました。中宗も仏教を崇敬しましたが、小雁塔を建立し、これからというときに急死しました。玄宗の盛唐時代に入ると、仏教は抑制されるようになりました。鑑真が二京で学んだのは、初唐の最後の頃のことでありました。
鑑真は弘景に付き、道岸の後姿を見て、また、多くの高僧の講授、薫陶を受けながら、三蔵、仏教建築、絵画、彫塑、医薬・医学、工芸、音楽を学び、研究しました。僧侶の学問体系であった五明学も、医方明、工巧明などは時代とともに進歩し、専門性が深まってきました。鑑真はそれらについても、皇室の太医署に通い、また、皇室寺院薦福寺の小雁塔建造に加わることによって、当代最高の技術を学び、知識を得ました。
鑑真が僧侶でありながら、仏教建築・仏教芸術の大家であり、医薬・医学にも造詣が深かったことは、子供の頃から聞いていました。しかし、いつ、何処で、誰から、どのように学んだかは知る由もなく、不思議に思っていました。小雁塔の歴史をたどる中で、思いがけず、その問いに対する答えに巡り会うことができました。
小雁塔には、1層に纏腰と呼ばれる副階が付けられていました。意匠考証の結果、纏腰は法隆寺五重塔や薬師寺東塔・西塔に付けられている裳腰と同じものではないかと思うに至りました。纏腰は裳腰の起源、語源である可能性もあり、このことは第2部(初唐の仏教文化と鑑真)で再度触れることにします。
遣唐使の派遣は、白村江の戦い以後、実質的に滞っていましたが、8世紀に入ると規模を大きくして再開され、7世紀後半に花開いた初唐の文化が一挙に日本にもたらされました。その中核を成したのが仏教建築などの仏教文化でありました。8世紀半ばには鑑真が有形、無形の多くの文化を日本にもたらしました。初唐の仏教文化については、第2部(初唐の仏教文化と鑑真)でまとめることとします。
小雁塔の建立に相前後して、日本では法隆寺五重塔、薬師寺東塔が建立され、1300年にわたり、荘厳、壮麗な姿で人々を魅了してきました。隋、唐の時代、中国には数多くの木造の仏塔が立っていましたが、今は当時のものは残っていません。8世紀末に建立された唐招提寺金堂も、雄渾壮麗な姿で、唐代の建築風格を今に伝えています。法隆寺五重塔、薬師寺東塔、唐招提寺金堂は、日中両国の文化を結ぶかけがえのない文化遺産であり、小雁塔もまた、鑑真の仏教建築の原点であることを考えますと、日本人にとっても心のよすがとなるものです。
道岸、鑑真は、小雁塔が悠久の時を越え、何時までも立ち続けることを願い、精魂込めて設計し、監修したであろうことは、間違いないことと思います。しかし、建立して800年近く経ったある日、地震で突如として2つに裂け、次の地震でまた元に戻るとは、夢にも思わなかったに違いありません。小雁塔の神合は、実際に起きた不思議な現象として、道岸、鑑真の精神とともに、いつまでも人々の心の中に残り、語り継がれることでしょう。
地震で縦に亀裂が入る現象は、古代の密檐式磚塔に共通して見られ、大地震の度に損傷度を増し、崩壊した塔もあったようです。貴重な文化遺産を地震の脅威から守るためには、現象を解明し、根本原因を明らかにすることが大切です。四川大地震における奎光塔の被害状況から、重要な手掛かりが得られました。思い至った1つの仮説を、第3部(小雁塔の神合の現象)でまとめることにします。
2012年9月1日
稲葉 忠
参考文献等
第1部をまとめるに当たり、小雁塔の歴史及び古文書等の記録の多くは文献(1)を拠り所にしました。神合についても触れられています。鑑真の二京遊学については文献(2)~(14)を参考にしました。大きな流れは文献(14)を、法門寺仏舎利供養については文献(13)を参考にしました。小雁塔の塔身の構造については文献(17)を、基壇の補修については文献(18)を参考にしました。小雁塔の纏腰については文献(15)を、大雁塔の構造の変遷については文献(16)を参考にしました。また、清代末期の小雁塔の写真は文献(19)から引用しました。これらの他にも多くの文献を参考にしました。ここに、著者、関係者の皆様に厚く感謝の意を表します。
- (1) 孔正一編著 西安小雁塔、三秦出版社、2003.10
- (2) 淡海三船(別名 真人元開)著 法務贈大僧正唐鑑真大和上伝記(別称 唐大和上東征伝、鑑真和上東征伝)、779
- (3) 賛寧、宋高僧伝卷第十四·唐揚州大雲寺鑑真伝、988
- (4) 賛寧、宋高僧伝卷第十四·唐光州道岸伝、988
- (5) 賛寧、宋高僧伝卷第五·唐荊州玉泉寺恒景伝、988
- (6) 賛寧、宋高僧伝卷第十四·唐京師崇聖寺文網伝、988
- (7) 賛寧、宋高僧伝卷第十四·唐京兆西明寺道宣伝、988
- (8) 賛寧、宋高僧伝卷第一·唐京兆大薦福寺義浄伝、988
- (9) 道宣、続高僧伝卷第四、唐京師大慈恩寺釈玄奘伝
- (10) 凝然、三国仏法伝通縁起、1311
- (11) 谷省吾、鑑真和尚伝の逸文その他ー凝然自筆「律宗祖師伝」断簡に関する研究ー、芸林、1955.5,6
- (12) 安藤更正、鑑真大和上伝之研究、平凡社、1960
- (13) 方光華、中宗年間京都仏事与鑑真的長安之行,中国仏学(台湾)、1998(1期)
- (14) 王虎華、許鳳儀主編 大明寺志,中国文史出版社、2004.12
- (15) 楊鸿勲、唐長安薦福寺塔復原探討、1990
- (16) 楊鸿勲、唐長安慈恩寺大雁塔原状探討、中国社会科学院
- (17) 陳平,赵冬,姚謙峰、西安小雁塔抗震性能探求 西安建築科技大学学報、1999 31(2)
- (18) 王華,白静静、西安小雁塔地基与基礎構造的研究、地基基礎、陕西土木建築網、陕西省土木建築学会
- (19) Ernst Boerschmann著 Baukunst und Landschaft in China、Atlantis-Verlag、Berlin、1926 (東洋文庫所蔵)
なお、唐招提寺金堂、法隆寺五重塔、薬師寺西塔の写真は著作者より、清代末期の小雁塔の写真は写真集の所蔵者より、それぞれ掲載の許可をいただいています。高解像度の写真をご提供くださったことに、改めて感謝の意を表します。